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Kasteel van Gaasbeek

 

[ カスティーユ ファン ガースベーク ]


ガースベーク城

 

~静かな森の奥に佇む、数奇な運命を辿った城~

 


※この城は4つのページに分けてあります。

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Kasteel van Gaasbeek

Rund um Kasteel

城の周囲

Im Kasteel I.

城内その1

Im Kasteel II.

城内その2

 

 

 

 

- 目次 -

Kommentars / 解説

Assoziierte Personen / 関連人物

Anfahrt zum Kasteel / 城への道順

Mein Kasteelbesuch / 訪問記

Nachfolgende Eigentümer / 歴代城主

Historie / 歴史

Daten / データ


 

 

Kommentars / 解説


 

 

 

ベルギー王国、フラームス=ブラバント州、レンニーク市、ガースベーク地区にある城。

ブリュッセル市内から西に12キロほどのところ位置し、「ガースビーク城」、「ガスベック城」などと表記されることもあります。

 

今日、城が建つこの地には、中世初期に建てられた「モット」と呼ばれる木製の櫓がありました。

 

↓ベイリー(左)とモット(右)

の地がブラバント公国時代であった1240年頃、ゴットフリート・ファン・ルーヴェン=ガースベークによって、フランドル~エノー地方からの侵略の防衛拠点として石造りの砦に建て替えられたのがガースベーク城の始まりとされています。

 

時代が下るにつれて領地と城の所有は、婚姻により他家に移ったり、売却で替わったりすることもあり、また、歴代の城主の中には反逆罪で処刑された者もおり、城もたびたび攻撃を受け破壊され、再建されるなど、数奇な運命を辿っています。

↓1606年頃の銅版画

↓1683年頃のエッチング


歴代城主の中で有名な人物は、「エグモント伯」の名で知られるラモラール・ヴァン・エフモント(エグモント)で、彼は1565年にガースベーク城を含むこの領地を取得します。

 

当時のネーデルラント(ベルギーとオランダ)は、スペインの支配下にあり、圧政に苦しむ市民と共に属領支配に抵抗したかどで捕らえられ、反逆罪の判決を受け、1568年にグラン=プラス(ブリュッセルの中心地にある大広場)反逆罪で処刑されてしまいます。

 

後世、彼の悲劇をゲーテは戯曲に書き、ベートーヴェンは劇付随音楽を作曲しました。


1796年、イタリアの貴族でブリュッセルの市長も務めたパウロ(ポール)・アルコナーティ=ヴィスコンティが城と所領を相続したことにより、アルコナーティ=ヴィスコンティ家の所有となりました。

 

1873年、ジャンマルティーノ・アルコナーティ=ヴィスコンティは、フランスのマリー=ルイーズ・ペイラトと結婚しますが、わずか三年でジャンマルティーノは亡くなってしまいます。

未亡人となったマリー=ルイーズは、アルコナーティ=ヴィスコンティ家のたくさんの不動産を相続し、中でもガースベーク城は1887~1898年にかけて、建築家シャルル・アルベー(チャールズ・アルバート)の監修により、ネオ・ルネサンス様式(一部ネオ・ゴシック様式)で大改修がおこなわれ、この姿が今日のガースベーク城となっています。

 

マリー=ルイーズは普段はパリに住み、ガースベーク城には休暇の際に訪問して滞在する程度でした。

子供のいない彼女は、晩年、ガースベーク城と敷地およびパビリオンをベルギー政府に寄贈し、1923年に亡くなりました。

翌年から城は博物館として公開され、今日に至ります。

 

 

注意:

 

この城は、最寄駅から距離があるため、徒歩で行くことは困難です。

ブリッュセル南駅前のバスターミナルからバスで行くようにしてください。ただし、バスの本数は少ない(休日はもっと少ない)ので注意してください。

 

チケット売場には暗証番号式の無料ロッカーがあります。

 

城内は自由見学で回ることができ、撮影も自由です。

各国語オーディオガイドフォンありますが、日本語版はありません。

 


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Kasteel van Gaasbeek

Rund um Kasteel

城の周囲

Im Kasteel I.

城内その1

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城内その2

 

 

 

 


 

 

Assoziierte Personen / 関連人物


 

 

Godfried van Leuven-Gaasbeek

ゴットフリート・ファン・ルーヴェン=ガースベーク

 

1209年生~1253年1月21日歿

ルーヴェン=ガースベーク伯爵位:1236年~1253年1月21日

 

ガースベークの初代領主。

リエージュ近傍のエルスタル(Herstal)とバンシニー(Baucignies)の領主でもあった。

 

フランドル、エノー地方からの侵略の防衛拠点として、木製の砦を取り壊し、ガースベーク城を築く。

Zweder van Abcoude

ツヴェイダー・ファン・アブクーデ

 

1340年頃生~1400年4月22日(23日?)歿

ガースベーク領主:1376年~1400年

 

ガースベーク、プッテン(Putten)、ストライエン(Strijen)の領主。

 

ブラバント公国内で権力拡大を巡ってエイヴラード・セルクラース(ブリュッセルの貴族で評議員)と対立し、殺人事件にまで発展、その報復としてブリュッセル市民の討伐軍により城は攻撃される。 

Everard t'Serclaes

エイヴラード・セルクラース

 

1320年頃生~1388年3月31日歿

 

ブリュッセルの評議員。

ブラバント公国内で権力拡大を目論むツヴェイダー・ファン・アブクーデと対立し、1388年3月26日、レンニークの町を訪ね、その帰途にツヴェイダー派の暴漢に襲われ、その際に負ったケガが元で亡くなる。

 

この事件に憤慨したセルクラース派のブリュッセル市民は、討伐軍を結成しツヴェイダーの住むガースベーク城を包囲、攻撃する。

Lamoraal van Egmont

ラモラール・ファン・エフモント

 

1522年11月18日生~1568年6月5日歿

 

フランドルの軍人、政治家。

エフモント伯、エグモン伯、エグモント伯の称号で知られる。

1565年、ガースベーク城と領地を取得する。

 

当時、ネーデルラント地方を支配していたカール5世(神聖ローマ皇帝、スペイン王)に仕え、数々の武功を挙げ、フェリペ2世(スペイン王)の時代になると、フランドル、アルトワ両知事に指名される。

しかし、スペインによるネーデルラント属領政策と圧制に憤慨し、オラニエ公ウィレム1世、ホーン伯フィリップスらととも対して反乱を起こす。

1567年、フィリップスらと共に捕らえられ、反逆罪で死刑の宣告を受け、1568年6月5日、グランプラスにて斬首刑に処される。

Filips van Montmorency

フィリップス・ファン・モンモランシー

 

1524年生~1568年6月5日歿

 

ネーデルラントの貴族で金羊毛騎士。

カール5世(神聖ローマ皇帝、スペイン王)の時代には皇帝に仕え、数々の武功を挙げるも、フェリペ2世(スペイン王)の時代になると、スペインによるネーデルラント属領政策と圧制に対して反乱を起こす。

1567年、エフモント伯らと共に捕らえられ、反逆罪で死刑の宣告を受け、1568年6月5日、グランプラスにて斬首刑に処される。

René van Renesse van Elderen

ルネ・ファン・レネッセ・ファン・エルデレン

 

1580年頃生~1637年4月16日歿

 

ワルフセ伯、モンテナケン城伯、ガースベーク伯。

スペイン王フェリペ4世下のネーデルラント財政評議会議長を務める。

1615年、ガースベーク城と領地を取得し、ガースベーク伯の称号を得る。

1633年、スペインのネーデルラント支配に対するクーデターを画策したかどで追放され、城と領地は没収される。

リェージュに逃れた後の1637年、リエージュの市長セバスティアン・ラ・リュエルを暗殺。それを知ったリェージュの市民により袋叩きに遭い、殺害される。

Louis-Alexander Scockaert de Tirimont

ルイ=アレクサンダー・シュコカート・ド・ティリモント

 

1633年8月29日生~1708年5月8日歿

 

スペイン領ネーデルラントの公職者、外交官。

1687年、ガースベークの領地と荒廃していたガースベーク城を取得し、再建する。

1690年、ガースベークを含む周辺の町村(ディルビーク、シント=マルテンス・ボーデヘム、イッタビーク)をティリモント郡に昇格させ、ティリモント伯の称号を得る。

Giuseppe Arconati-Visconti

ジュゼッペ・アルコナーティ=ヴィスコンティ

 

1797年4月9日生~1873年3月11日歿

 

イタリアの政治家。

1821年、政治的な理由でベルギーに亡命し、ガースベーク城と領地を所有していた叔父パオロ(ポール)・アルコナーティ=ヴィスコンティを頼る。

ほどなくして亡くなったパオロの財産(ガースベーク城含む)を相続する。

Gianmartino Arconati-Visconti

ジャンマルティーノ・アルコナーティ=ヴィスコンティ 

 

1839年11月11日生~1876年2月23日歿

 

アルコナーティ=ヴィスコンティ家の当主。

1873年、父の死後、マリー=ルイーズ・ペイラトと結婚し、ガースベーク城に住む。

結婚からわずか三年後の1876年、36歳で亡くなる。

Marie-Louise Arconati-Visconti

マリー=ルイーズ・アルコナーティ=ヴィスコンティ 

 

1840年12月26日生~1923年5月3日歿

 

1873年、ジャンマルティーノ・アルコナーティ=ヴィスコンティと結婚。旧姓ペイラト(Peyrat)。

1876年に未亡人となった彼女は、アルコナーティ=ヴィスコンティ家の財産を相続する。

ガースベーク城の修復を建築家シャルル・アルベー(チャールズ・アルバート)に依頼、城はネオ・ルネサンス様式(一部ネオ・ゴシック様式)で完成する。

 

子供のいない彼女は、晩年、城と付随する領地をベルギー政府に寄贈する。


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Rund um Kasteel

城の周囲

Im Kasteel I.

城内その1

Im Kasteel II.

城内その2

 

 

 

 


 

 

 

Anfahrt zum Kasteel / 城への道順


 

 

ガースベーク城に行くには、まずブリュッセル南駅(仏:Gare de Bruxelles-Midi / 蘭:Station Brussel-Zuid)に行きます。

 

駅の北側の出入口から50メートルほど進んだところにバスターミナルがあります。

 

 

 

【142番バス利用】

電光掲示板にある「142 LEERBEEK」がガースベーク城行きのバスです。

 

 142 : バス番号

 LEERBEEK : 行き先

 VIA GAASBEEK : ガースベーク経由

 09:01 : 発車時刻

 28 : 出発までの時間

 9 : 乗り場(プラットホーム)

 

 

バスにはデカデカと「142 LEERBEEK、GAASBEEK」と表示されています。

バスに乗る際、「Kasteel Gaasbeek」と書いた紙を見せるのが一番伝わりやすいです。

 

ガースベーク城のバス停までは30~40分ほどで、門から600メートルほど進むと城に到着します。 

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Rund um Kasteel

城の周囲

Im Kasteel I.

城内その1

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城内その2

 

 

 

 


 

 

 

Mein Kasteelbesuch / 訪問記


 

 

初訪問・・・2018年9月25日(水)

 

ブイジンゲン -(列車)→ ブリュッセル南駅 -(バス)→ レンニーク

ガースベーク城の存在を知ったのは、中学生の時に図書室で借りた「世界の城」という本でした。

 

ガースベーク城(本書では「ガスベック城」と表記)の解説文を読んでみてもベルギーの国内事情が大部分で、城に関する解説はほとんどなく、何よりも写真の撮影地点が城の裏手の土手の下からで、城の外観がほとんど分からず、「なんでこんなに変な場所から撮影した写真を掲載したのか?」と、ミョーな印象を受けました。

 

どう考えても城の正面を撮った写真を掲載した方がいいのではないかと思うんですが・・・。

 

 


2019年9月25日(水)、ブリュッセルの南西約15キロのところにあるブイジンゲンに滞在中。

この日は、ブリュッセル郊外にあるガースベーク城に向かいます。

 

8:00

ブイジンゲンからブリュッセル南駅までは片道3.70ユーロ。

この時期はサマータイム中ですが、日の出が遅く、7:45くらいにならないと明るくなりません。(朝7:30はまだ暗い)

早目に駅に行って列車を待ちます。

線路の向こうに見える建物は宿泊している家族経営のホテル(ペンション?)。

 

8:10 → 8:24

 

ほどなくして列車が来ます。


8:32

 

列車を降りてブリュッセル南駅の北側にあるバスターミナルに向かいます。

 

9:01

9:01発、Lijn社の142番バス、LEERBEEK行き(ガースベーク経由)に乗ります。

運賃は片道3ユーロ(2019年9月現在)で、バスチケットは乗車の際に運転手から購入します。

 


9:31

 

30分ほどでガースベーク城最寄のバス停「Kasteel」に到着。

バスを降りる際、運転手さんが親切に、「ここから入って道を進んで行くと城に到着するよ。」と教えてくれました。

 

9:33

 

ガースベーク城の敷地の門から城までは約600メートル、美しい森の並木道を歩いて行きます。 

9:40

途中にフランス式庭園があります。

ここでは種の保存のために栽培されている林檎や梨、ハーブ類、カボチャ、パプリカ、プラムなど、たわわに実った果物や野菜を見ることができるそうです。

まだ開いていなかったのと、あまり庭園には興味がないので、ここはパスしました。

 

9:42

 

庭園を横目に進むと、いよいよガースベーク城に到着です。

9:45

 

重厚な城門館、左右に伸びる翼、どっしりと構えた円筒・・・写真で見るのとは全然違う城の威容が感じられます。

 

北翼の張り出しには、ガーゴイルの雨樋が見えます。

9:46

 

まだ開館時刻前で城門の扉は閉じられているため、城の周囲を見に行きます。

 


  10:02

 

城の外周を回ったところでちょうど10時の開館時刻になり、チケット売場に向かいます。

 

チケット購入の際にシールを渡されました。(絵柄はアルコナーティ=ヴィスコンティ家の紋章「人を呑み込む蛇 (ビショーネ)」)

見学の際は、これを服に貼って入城するしきたりのようです。

10:21

この時は東の塔で「フランドルの巨匠展 (2019年6月1日~9月30日)」という特別展示が開催されていたため、普段は非公開の東の塔内部に入ることができました。

東の塔の次はいよいよ城本館を見学します。

庭園のベンチには、放し飼いの孔雀が留まっていました。

 

  10:22~13:31

 

城内には、簡素な居室や重厚な居室、工事中の居室、近代設備の居室、絢爛豪華な広間など、様々な居室が続き、たいへん興味深く見学することができました。 

訪問時は雨がちで、もう少し天気が良ければ城の庭園や外周などをじっくり堪能できたのに・・・少々残念でした・・・。

  13:55

 

復路のバス(ブリュッセル南駅行き)は、12:50、13:50、14:50、15:50、16:20、16:50、17:50と、ほぼ1時間おきにあり、私は13:50発のバスに乗ろうとバス停に向かいました。

 

バスは5分遅れの13:55に到着。交通機関が時間に正確な日本に住んでいる私としては、定時になってもバスが来ないと不安になります。


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城内その1

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Nachfolgende Eigentümer / 歴代城主


 

 

ガースベーク城を所有した人物のリストです。

城は破壊攻撃を受けて荒廃していた時期もあり、城主も常にガースベーク城に定住していたわけでもありません。

 

人物名の表記は、基本的にオランダ語表記と読みをベースしていますが、フランス人の場合はフランス語表記&読み、イタリア人の場合はイタリア語表記&読みで掲載しています。

 

歴代城主名 生没年 備考
Godfried van Leuven-Gaasbeek
ゴットフリート・ファン・ルーヴェン=ガースベーク
1209-1253  
Hendrik van Leuven-Gaasbeek
ヘンドリーク・ファン・ルーヴェン=ガースベーク
1245頃-1285 ゴットフリートの息子
Johanna van Leuven-Gaasbeek
ヨハンナ・ファン・ルーヴェン=ガースベーク
1287頃-1315頃 ヘンドリークの娘
Gerard I van Horne
ヘラルド1世・ファン・ホーン
1270頃-1331 ヨハンナの夫
Willem IV van Horne
ウィレム4世・ファン・ホーン
1297-1343 ヘラルド1世とヨハンナの息子
Gerard II van Horne
ヘラルド2世・ファン・ホーン
1320頃-1345 ウィレム4世の息子
Johanna van Horne
ヨハンナ・ファン・ホーン
1320頃-1356 ウィレム4世の娘、ヘラルド2世の妹
Gijsbrecht van Abcoude
ヘイスブレヒト・ファン・アブクーデ
1310頃-1372 ヨハンナの夫
Zweder van Abcoude
ツヴェイダー・ファン・アブクーデ
1340頃-1400 ヘイスブレヒトとヨハンナの息子
10
Willem van Abcoude
ウィレム・ファン・アブクーデ
1345頃-1407 ツヴェイダーの弟
11 Jacob van Abcoude (Gaasbeek)
ヤコプ・ファン・アブクーデ (ガースベーク)
1380頃-1459 ツヴェイダーの息子、ウィレムの甥
12 Jan van Horne
ヤン・ファン・ホーン
1380頃-1436 ヤコプの縁戚、城と領地を購入
13 Filips van Horne
フィリップス・ファン・ホーン
1421-1488 ヤンの息子
14 Arnold van Horne
アルノルト・ファン・ホーン
1460-1505 フィリップの息子
15 Maximiliaan van Horne
マクシミリアン・ファン・ホーン
1480-1542 アルノルトの息子
16 Maarten van Horne
マールテン・ファン・ホーン
1510-1570 マクシミリアンの息子
17 Lamoraal van Egmont
ラモラール・ファン・エフモント(エグモント)
1522-1568 1565年、城と領地を取得
18 Filips van Egmont
フィリップス・ファン・エフモント(エグモント)
1558-1590 ラモラールの息子
19 Maria van Horne
マリア・ファン・ホーン
1556-1605 マールテンの娘、フィリップの妻
  familie van Horne
ホーン家
  ホーン家一族で所有・継承
20 René van Renesse (van Warfusée)
ルネ・ファン・レネッセ (ワルフセ伯)
1580頃-1637 1615年、城と領地を取得
21 Alexander van Renesse (van Elderen)
アレクサンダー・ファン・レネッセ (エルデレン伯)
1620頃-1658 ルネの息子
  (無嗣断絶、荒廃のため所有者なし)    
22 Louis-Alexander Scockaert de Tirimont
ルイ=アレクサンダー・シュコカート・ド・ティリモント
1633-1708 1687年、城と領地を取得
23 Henriëtte Scockaert
ヘンリエッテ・シュコカート
生没不明 ルイ=アレクサンダーの孫娘
24 Giangaleazzo Arconati-Visconti
ジャンガレアッツォ・アルコナーティ=ヴィスコンティ
1700-1775 ヘンリエッテの夫
25 Paolo Arconati-Visconti
パオロ・アルコナーティ=ヴィスコンティ
1754-1821 ヘンリエッテとジャンガレアッツォの息子
26 Giuseppe Arconati-Visconti
ジュゼッペ・アルコナーティ=ヴィスコンティ
1797-1873 パオロの兄の息子(甥)
27 Gianmartino Arconati-Visconti
ジャンマルティーノ・アルコナーティ=ヴィスコンティ
1839-1876 ジュゼッペの息子
28 Marie-Louise Arconati-Visconti
マリー=ルイーズ・アルコナーティ=ヴィスコンティ
1840-1923 ジャンマルティーノの妻

 

ジャンマルティーノ・アルコナーティ=ヴィスコンティ(1839~1876)は、マリー=ルイーズを娶ったものの、わずか三年で亡くなりました。

夫妻には子供がいなかったため、未亡人となったマリー=ルイーズは、相続したガースベーク城を改修した上、自らの死後、ベルギー政府に寄贈する旨の遺言をしたためました。

 

最後の城主であるマリー=ルイーズは1923年5月3日にパリで亡くなり、彼女より政府に寄贈されたガースベーク城は翌年に博物館として公開され、現在に至ります。

 


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Rund um Kasteel

城の周囲

Im Kasteel I.

城内その1

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城内その2

 

 

 

 


 

 

Historie / 歴史


 

 

1240年以前

中世初期の頃から「モット」と呼ばれる木製の櫓があった。

 

1240年頃

ゴットフリート・ファン・ルーヴェン=ガースベークによって石造りの築城がおこなわれる。

 

1388年3月

ガースベーク城主であったツヴェイダー・ファン・アブクーデがブラバント公国内で権力拡大を巡ってエヴラード・セルクラース(ブリュッセルの貴族で市長)と対立し、殺人事件にまで発展する。

その報復としてブリュッセル市民の討伐軍により城は攻撃される。

 

1389年

ヨハンナ・ファン・ブラバント公爵夫人の支援により再建される。

 

1565年

  10月4日

ラモラール・ファン・エフモント(エグモント)が城を含む周辺の領地を取得する。

 

1568年

   6月5日

ラモラール・ファン・エフモント(エグモント)、反逆罪で斬首刑を執行される。

 

1586年

 

没収されていたガースベーク城は、ラモラールの息子フィリップス・ファン・エフモントに返還される。

 

1615年

ルネ・ファン・レネッセ (ワルフセ伯)が城を買い取り、城の増改築や、フランス式庭園、聖ゲートルード礼拝堂、中庭などを建設する。

 

1632年

 

ルネ・ファン・レネッセはスペインに対する陰謀で告発され、城と領地は没収され売りに出されるが、購入希望者がなく、放置され荒廃する。

 

1695年

ルイ=アレクサンダー・シュコカート・ド・ティリモントがガースベークの領地と城を購入。

9年戦争(大同盟戦争 1688-1697)のさなか、ルイ14世のフランス軍によって城は砲撃を受け、城は荒廃する。

 

1697年

ルイ=アレクサンダー・シュコカート・ド・ティリモントはリスウィック条約の交渉のためにスペイン王カルロス2世の全権大使に任命され、9年戦争(大同盟戦争)を終結させる。

荒廃していたガースベーク城は彼の手で修復される。

1796年

城は相続によってパオロ(ポール)・アルコナーティ=ヴィスコンティの所有となる。

 

1821年

パオロの死によって甥のジュゼッペ・アルコナーティ=ヴィスコンティが城を相続する。

 

1830年

ジュゼッペ・アルコナーティ=ヴィスコンティによって城は改修工事がおこなわれる。

 

1873年

  3月11日

ジュゼッペ・アルコナーティ=ヴィスコンティ死去。息子のジャンマルティーノが相続する。

同年11月、ジャンマルティーノはマリー=ルイーズ・ペイラトと結婚する。

 

1876年

  2月23日

ジャンマルティーノ・アルコナーティ=ヴィスコンティ、フィレンツェで死去。アルコナーティ=ヴィスコンティ家の財産はマリー=ルイーズが相続する。

 

1887年

  ~1898年

マリー=ルイーズは城の改修工事を依頼、建築家シャルル・アルベー(チャールズ・アルバート)の監修により、ネオ・ルネサンス様式(一部ネオ・ゴシック様式)で大改修がおこなわれる。

 

1921年

マリー=ルイーズは、ガースベーク城と敷地およびパビリオンをベルギー政府に寄贈する。

 

1923年5月3日

マリー=ルイーズ、パリで死去。(享年82)

 

1924年

博物館として公開される。

 


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Daten / データ


 

 

Kasteel van Gaasbeek

カスティーユ・ヴァン・ガースベーク 

ガースベーク城


所在地

 

ベルギー、フラームス=ブラバント州、レンニーク

 

住所: Kasteelstraat 40, 1750 Lennik Belgium

 

電話: +32 2 531 01 30

公式サイト

https://www.kasteelvangaasbeek.be/nl 

現在の用途

博物館

交通

ブリュッセル南駅から約12キロ (バス利用)

宿泊施設

なし

レストラン/カフェ

あり

敷地の入口バス停前にアイスクリーム店、

敷地内にレストランがあります。

城内見学

写真撮影

開館時間 / 料金

 

 

開館時間

開館日と時間は毎年変更があるので、

サイトから確認してください。

→開館日時

 

4月1日~11月初旬の火~日曜 (月曜休館)

10:00~18:00

 

最終入館は17:00

 

月曜が祝日の場合は開館

 


  

料金

 
一般(大人) 10ユーロ

 

他に子供料金、シニア料金、ガイドツアー料金あり


備考

★城内は自由見学で回ることができます。

 

★各国語オーディオガイドフォンあり(日本語版はナシ)

 


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