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Schloß Neuschwanstein
[ シュロス ノイシュヴァンシュタイン ] |
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ノイシュヴァンシュタイン城 |
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~見果てぬ夢を追う王のロマンの城~ |
※この城は9つのページに分けてあります。 |
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- 目次 -
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Kommentars / 解説
ドイツ、バイエルン州、シュヴァンガウの村に建つ城。
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「Neu(ノイ)」は『新しい』、「Schwan [シュヴァン]」は『白鳥』、「Stein [シュタイン]」は『石』の意味。
「ノバンシュタイン(意味不明)」や「ノイシュヴァインシュタイン(新しいブタの石)」などと間違えて覚る人が多いようで、少しばかり覚えにくい名前のようです。
「新しい白鳥の石」→「New Swan Stone [ニュー・スワン・ストーン]」→「Neu Schwan Stein [ノイ・シュヴァン・シュタイン]」と覚えましょう。
バイエルン王ルートヴィヒ2世が存命中は、「ノイホーエンシュヴァンガウ城 [Schloß Neuhohenschwangau]」という名で、王の死後1890年より現在の名前になりました。
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現在、城の建っている台地には、中世に築城された「前ホーエンシュヴァンガウ」と「裏ホーエンシュヴァンガウ」の城址がありました。
1868年7月に2つの城址は取り壊され、建設現場に続く道路と水道が整備されました。更に建設敷地面積を拡張するために、露出した円頂丘を7~8メートルほど爆破し、翌年1869年9月5日に、当時のバイエルン王ルートヴィヒ2世によって「新ホーエンシュヴァンガウ城」建設の礎石が据えられ、大規模な建設が開始されることになりました。 |
↓1850年頃の二つの城址 |
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城はその後17年にわたり建設が続けられ、1873年には城門館が完成、1883年には本館が完成し、1884年からは4階にある王の居住部分には入居できるようになりました。
王は、ノイシュヴァンシュタイン城の他にリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城を建築し、さらにファルケンシュタイン城、ビザンチン風宮殿、中国風宮殿まで建築しようと考えたため、進行中の城の建築費だけでも莫大な金額にのぼり、王家、とりわけ王の借金(*1) は嵩むばかりでした。その上、王としての職務を怠るようになり、国民の前にも姿を見せず、引きこもり、オペラと城造り熱中したため、王家や内閣からは精神病との烙印を捺され、王座を追われてしまいました。その直後の1886年6月13日の王の死により、建設中の工事は全て中断されました。
同年8月より、一般公開されるようになりましたが、平日2マルク、休日1マルクという、当時にしては比較的高額な入場料(現在の貨幣価値に換算すると1マルク≒30DM≒15 ユーロ≒2000円)にもかかわらず、わずか半年で18,000人もの入場者がありました。 その後、未完成だった中庭南側に位置する『婦人の館』が簡素な形で建設され、城内の『玉座の間』に重さ900kgのシャンデリアが設置されました。
現在、ノイシュヴァンシュタイン城は、バイエルン州政府の所有で、その美しい佇まいと、何よりもその建築に情熱を傾けた国王ルートヴィヒ2世の物語と結びついて私たちの興味をひき、現在では毎年100万人以上もの旅行者が訪れる格好の観光名所となっています。(ホーエンシュヴァンガウ城はヴィッテルスバッハ補償基金財団の所有) |
*1.『ルートヴィヒ2世は自分の城を建設するために国費を浪費し、国を破産のふちに立たせた』とよく言われますが、これは事実ではありません。『国王の私財と王室費(国家君主の給料)を使った』というのが事実です。建設が進むにつれて費用が嵩み、王は多額の借金をしましたが、それらは王の死後、王家(ヴィッテルスバッハ家)により返済されました。 |
注意: この城は世界的にも有名な城で、人気も高く、城内はガイドツアーでの見学にもかかわらず、勝手なことをしようとする輩が後をたたず、監視カメラがどの部屋にもあります。とかく日本人は、やたらに触りたがるクセがあるようで、これは欧米人には嫌がられる行為なので、くれぐれも見るだけにしましょう。
城は春から秋の観光シーズンは、ものすごーーーーーーく混雑します。 麓のチケット販売所も行列が収まらず、100メートル下のバス停まで行列が続くこともあるそうです。チケットはネットでも予約ができるので、ハイシーズンはそちらを利用した方がいいです。
人気の城ゆえ、城内のガイドツアーは人間の数が多すぎて部屋の様子があまりよく見えず、ただ混雑している中を単に通り抜けただけのような印象だけが残ると思います。城内をよく見学するには、やはり閑散期(正月明けあたりから2月中頃)の訪問がオススメです。
麓から城までは、シャトルバス(冬期運休)と馬車、徒歩で行く方法がありますが、馬車も徒歩も20~30分ほどで、かかる時間はだいたい同じです。なお、シャトルバスは馬車とは違うルートで登城します。個人的には徒歩での登城がオススメですが、道には馬糞が落ちているので注意しましょう。
チケットは、麓のチケットセンターで購入してください。城では販売していません。 ネットで予約もできます。 城1つにつき12ユーロ(2012年4月現在)で、ホーエンシュヴァンガウ城とのコンビチケットもあります。チケットには入城時間が記載されているので、遅れないように登城してください。なお、コンビチケットを購入した場合、混雑状況によってどちらが先に入城指定されるか分かりません。
ノイシュヴァンシュタイン城は、バイエルン城巡りチケットを持っていると無料で入城できます。その際も麓のチケット売場で手続きしてください。(ホーエンシュヴァンガウ城は適用していません)
城のチケット代やフュッセン~シュヴァンガウ間のバス代、タクシー代は値上がり傾向にあるため、今一度ご自分で確認してください。 |
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Assoziierte Personen / 関連人物
Ludwig II. ルートヴィヒ2世
1845年8月25日生~1886年6月13日歿 バイエルン王在位:1864年3月10日~1886年6月13日
バイエルン王国第4代国王。 ノイシュヴァンシュタイン城の建設主。 他にリンダーホーフ城やヘレンキームゼー城などを建設する。
紹介ページ→ルートヴィヒ2世 |
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Wilhelm Richard Wagner ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー 1813年5月22日生~1883年2月13日歿
歌劇の作で知られる19世紀のドイツの作曲家、指揮者。 彼の作品に感動し、心酔するルートヴィヒ2世により招聘され、生涯にわたって支援を受け、ワーグナーも王のためにたくさんの歌劇を創作する。 ノイシュヴァンシュタイン城内部の壁画は、ワーグナーの作品から採用され、さまざまな場面が描かれている。 |
Christian Jank クリスティアン・ヤンク
1833年生~1888年11月25日歿
ミュンヘンの劇場美術画家、いわゆる舞台で使われる書割[かきわり]を描く、美術担当の画家。 リヒャルト・ヴァーグナーのオペラ、『ローエングリン』の舞台美術を担当していたところ、ルートヴィヒ2世に城館の設計図を依頼される。 その作品はルートヴィヒ2世の賛同を得て、ノイシュヴァンシュタイン城の建設計画に取り入れられた。 |
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Franz von Pocci フランツ・フォン・ポッチ伯
1807年3月7日生~1876年5月7日歿
ミュンヘン生まれのイタリア系ドイツ人。 画家、詩人、劇作家、作曲もこなす芸術家で、祖父王ルートヴィヒ1世の宮廷典礼長を務める。 ルートヴィヒ2世がノイシュヴァンシュタイン城を建築する際、設計図を依頼される。 |
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Alfred Eckbrecht von Dürckheim-Montmartin アルフレート・エックブレヒト・ フォン・デュルクハイム=モンマルタン伯
1850年7月21日生~1912年4月歿
王ルートヴィヒ二世の副官、侍従武官。 ノイシュヴァンシュタイン城の王の執務室の隣に副官の部屋が設えられるほど王の信頼が厚く、彼も王に最後まで忠誠を貫き、王の死後、逮捕・懲戒転任にもめげず、医師の主張する王の精神病に対し、最後まで異論を唱えた。 |
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Gerüchte über Schloß / 城の噂
●世界で一番美しいと言われる城
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でも、個人の趣味で造られた城もどきのため、歴史的・文化的な価値は薄く、地元の人たちからは『ニセモノ』、『まがい物』を意味する『キッチュ』と呼ばれている。
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城の名前が長くてややこしいため、間違って憶えている人多し→「ノバンシュタイン」、「ノイシュヴァイン~」・・・。
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●中世の城というイメージがある
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実際は明治維新や南北戦争(アメリカ)よりも後にできた。
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建材に鉄骨が使われている。
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●実は未完成で、全体の三分の二くらいしか完成していない
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建設費が膨大になってしまったため、1886年3月に内閣の議決によって工事が中止になってしまい、その3ヶ月後(6月13日)に建設主であるルートヴィヒ2世が亡くなったため、完全に工事は取りやめになった。
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同年8月1日から城は一般公開されることとなり、どうしても必要な部分、婦人の館や玉座の間のシャンデリアなどは後に建設された。
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本館の前の中庭に90メートル(!)のベルクフリート(主塔)が建つと正面からの外観が変わり、本館正面の大部分が隠れてしまうため、建設されなかった。
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102年後の1988年の修繕工事の際、その中庭に白い石版を敷き、ベルクフリートと礼拝堂の位置が分かるようにした。
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●城建設によりバイエルン王国の国庫がヤバくなった?
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と誤解されているが、ルートヴィヒ2世はプロイセン王国を主導とするドイツ帝国樹立を支持した見返りにビスマルクから送られた資金や、王の給料、国王名義で銀行から借り入れた資金で建てたため、国庫とは無関係だった。
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しかし王室公債を乱発して借金を重ねたため、王家ヴィッテルスバッハ家の人たちは不安になった。
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最終的に王家ヴィッテルスバッハ家から全額返済された。
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とにかく「城造りのために国庫を費やした」と誤認識している人が多い。時代は19世紀後半、いくら国王といえど国民から徴収した税金や国家予算を好き勝手に使えるワケないでしょ!
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国王ルートヴィヒ2世は借金を抱え、王家の財政を危うくした城だが、現在は稼いでいる。
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城にはたくさんの観光客が訪れ、稼いでいるにもかかわらず、年々入場料が値上がりしている。
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城建設のおかげで建築家、作業員、美術工芸、現場の村人など、たくさんの関係者たちが潤った。
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現在も周辺のホテルやレストラン、土産物店が潤っている。
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が、近年はマナーの悪い某国の人たちが大挙して押し寄せるようになり、少々ウンザリしている。
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●ルートヴィヒ2世は自分が死んだら城を破壊するよう命じていた
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人間嫌いのルートヴィヒ2世は食事中もオペラ鑑賞中も他人に見られるのを嫌い、晩年は引きこもりがちだった。
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城は破壊されず、死後二ヶ月も経たないうちに一般公開された。
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交通の便も悪く、あまりにも辺鄙なところにあり、居住性も良くないため、一般公開する以外に使い道がないとして王家の人たちは相続しても誰も住みたがらず、公開に踏み切った。
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●ノイシュヴァンシュタイン城は世界遺産に登録されない?
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日本の姫路城(別名:白鷺城)とノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)は観光友好協定を結んだ(いわゆる姉妹城)。
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時々、なぜノイシュヴァンシュタイン城が世界遺産になっていないのか質問されることがあるが、以上の事情と共に「田舎のお大尽が悦に入るためにキンキラ天守閣を鉄筋コンクリートで造ったようなやつの超豪華版」と説明すると、納得してくれると同時に夢をぶっ壊されたと恨まれる。
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●結局ノイシュヴァンシュタイン城は造って正解だった?
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当時は「城建設なんかヤメて政務に集中してほしい」と思う人が多かったが、現代は「他にも王が計画していた城がすべて建設されればよかったのに…。」と思っている人たちが多いようだ。
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中世を代表する城(これは誤解)、ドイツを代表する城として有名になり、城に興味を持つきっかけになったり、観光のパンフレットの表紙になったりと、観光客の呼び水となっているのは間違いない。
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しかし実際に行ってみると、高い確率でどこか修復工事をしており、足場が組まれ養生が掛かっている。(狭くて不安定な土地に無理にデカい城を築いたため)
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Anfahrt zum Schloß / 城への道順
ノイシュヴァンシュタイン城へ行くには、まずミュンヘンに行き、中央駅から列車で終点のフュッセンへ、フュッセン駅前からバス、タクシー、徒歩などで城の麓に行きます。
ミュンヘン中央駅で27~36番線から発車するRE (レギオナル・エクスプレス、快速)に乗ります。 フュッセン行きの直通列車と、途中のブーフローエ[Buchloe]もしくはカウフボイレン[Kaufbeuren]で乗り換えが必要な列車もあります。
フュッセン駅前からは、バスかタクシー、徒歩で行くことができます。 |
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■タクシーで行く場合…所要時間約7分、運賃
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停車しているタクシーに乗って麓のチケットセンターに行く旨を伝えます。
「Bitte gehen Sie zum Ticketcentre. [ビッテ・ゲーエン・ズィー・ツム・ティケッツェントレ]」=『チケットセンターまで行ってください。』と言うか、「Neuschwansten Ticketcentre.」と書いたメモを見せて「Ich möchte hierhin gehen. [イッヒ・メヒテ・ヒアヒン・ゲーエン]」=『ここに行ってください。』と伝えてください。
タクシーは片道10ユーロで行くことができます。
※2016年10月現在、片道11ユーロに値上がりして います。 |
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■バスで行く場合…所要時間約7分、運賃2.10ユーロ(片道)
フュッセン駅前にバス停があります。 バス停の2番乗り場に行ってください。
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78番、73番、9651番のバスがホーエンシュヴァンガウの麓のバス停まで行きます。(所要約7分) 片道2ユーロ、往復4ユーロと運賃が書かれた看板がありますが、これは2012年に撮影したのもので、現在は片道2.10ユーロとなっているようです。 バスは前にある乗車口から乗り、運転手からチケットを購入します。片道か往復を伝えてください。7分ほどで麓のバス停に到着します。
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↓麓のバス停。ここからチケットセンターまで約100メートルです。
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麓のバス停から100メートルのところにあるチケットセンター。こちらでチケットを販売しています。
チケットセンターの営業時間は、 4月1日~10月15日 8:00~17:00 10月16日~3月31日 9:00~15:00
ノイシュヴァンシュタイン城は人気が高く、チケット売場も混雑します。 |
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チケットはネットで予約するか、フュッセンのホテルに宿泊して、フュッセン駅前を朝7:25に発車するバスで行くとチケットセンターもすいており、あまり待つことなく購入~訪問できると思います。 |
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Mein Schloßbesuch / 訪問記
城内は撮影禁止で、窓から外の景色のみ撮影可能です。 右の画像は、4階の居間の窓から城門館側を撮影したものです。中央の “上の中庭” には、建設されなかったベルクフリート(主塔)の土台部分が分かるように白い石が埋め込まれているのが見えます。
豪華な玉座の間、重厚かつ壮麗なルートヴィヒ2世の居室を見学し、城を後にしました。
一行は、麓のレストランで食事を摂り、バスでミュンヘンに向かいました。これでバスツアーは終了ですが、私たちは明日またここに来る予定なので、お土産などは買わずにバスに乗りました。
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ミュンヘンに宿泊し、残りの旅程は終日フリーなので、ミュンヘンから日帰りで再びシュヴァンガウにやって来ました。
ミュンヘン中央駅からフュッセン直通の列車で約2時間。フュッセンの駅に降り立つと、駅前にはノイシュヴァンシュタイン城への行き方がドイツ語、英語に続き、日本語でもデカデカと書かれた看板がありました。
午前中はフュッセンの市内観光をしながらホーエス城に向かいます。 |
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ホーエス城の本館は閉まっており、中庭や壁に描かれた“だまし絵”を見て回りました。
その後フュッセンの駅前からバスでシュヴァンガウに向かい、城の麓で下車後、チケットセンターへ…。ホーエンシュヴァンガウ城とノイシュヴァンシュタイン城のチケットを購入し、ホーエンシュヴァンガウ城にも入城しました。 |
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クリーム色の城館で、ルートヴィヒ2世の父マクシマリアン2世が王太子時代の1832年に、古い城を買い取り、4年の歳月をかけて建設したものです。 ルートヴィヒ2世も、よく家族と共にこの城を訪れ、少年時代を過ごしました。
詳細はこちらをご覧ください。↓
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↓ホーエンシュヴァンガウ城から見た ノイシュヴァンシュタイン城 |
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ホーエンシュヴァンガウ城を見学したあとは、ノイシュヴァンシュタイン城に上ります。 |
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城内のガイドツアーはこの日最後のツアーで、参加者も少なめだったので、部屋の隅々まで見学することができました。
麓のレストランで食事を摂り、お土産を買ってミュンヘンに戻りました。 |
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購入したお土産↓ |
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四度目の訪問・・・2012年4月5日(木)
9年ぶりの訪問です。 フュッセン駅前7:25発の78番のバスに乗り、麓のバス停7:32に到着。チケットセンターの8時オープンと同時にチケットを買い求めます。 ホーエンシュヴァンガウ城→ノイシュヴァンシュタイン城→バイエルン王家の博物館(前回の訪問時は存在しませんでした)の順で入場チケットが発行され、それぞれ訪問しました。 |
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ノイシュヴァンシュタイン城は相変わらず訪問客が多く、大盛況です。ただ、残念なことに外壁工事中で、本館の側面部と後方部に足場が組まれていました。(2014年まで修復工事が続くそうです)
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ミュンヘンの宿泊先を後にしてミュンヘン中央駅から4つ先のPasing[パーズィンク]駅から |
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ケンプテン行きの快速列車に乗ります。
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この列車はフュッセンには行かないので、途中のブーフローエで乗り換えます。(次のカウフボイレンでも可)
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フュッセンまでは正規の切符を購入すると26.70ユーロかかりますが、バイエルンチケット(朝9時から使用可、バイエルン州内終日乗り放題)を買うと23ユーロで行けます。
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切符代を調べてみたら、2016年以降も値上がりしていて、2018年現在は正規28. 40ユーロ、バイエルンチケット25ユーロです。 2003年当時は正規の切符でも18.20ユーロだったんですけどねぇ~・・・どんどん値上がりしてるワ・・・。(~_~;) |
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乗車券の変遷(ミュンヘン→フュッセン)
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9:00 ~ 9:39, 9:47 車窓からは雲ひとつない快晴に照らされる風景・・・長閑な牧草地帯が続き、定時にブーフローエ駅に到着。9:47発のフュッセン行きの列車に乗ります。
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9:47 ~ 10:55 定時に発車した列車はバイエルンを南下、終点のフュッセンに向けて走ります。
再び長閑な牧草地や丘陵地帯を走る列車。 どこまでも青々と続く草原、放牧されている牛が草を食んでいる姿が見えます。 |
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10:55 定時に終点フュッセン駅に到着。 駅に到着してビックリ!★(・・;)☆ クリーム色の素朴な駅舎は既になく、どっしりした新駅舎が建設中でした・・・。 |
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12:10
フュッセンのホテルにチェックイン後、駅前のバス停からシュヴァンガウに向かいます。
駅前のバス停には、ノイシュヴァンシュタイン城に向かう旅行者で溢れていました。
ぬゎ~んと!
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同じ方面に向かうバスが三台も出てきました。(よーするに乗客が多すぎてバス一台では足りない)
12:21 麓のバス停に到着。ノイシュヴァンシュタイン城に向かいます。
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12:42 2003年、2012年の訪問時は修繕工事中で、足場や養生が掛かっていましたが、工事も完全に終わり、久々にまっさらのノイシュヴァンシュタイン城の姿を目にすることができました。 この日は入城せず、城の中庭と周囲、山側から眺めることにします。 |
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13:25 マリーエン橋からの眺望。 ポツンと寂しげに城が建っているように見えますが、撮影したマリーエン橋にはたくさんの人たちで賑わっています。
さらに橋を渡った先の山に登ります。 |
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細い山道を進み、木々の間から谷の向こうのノイシュヴァンシュタイン城がら見えます。 さらに進んでいくと・・・ ほとんど道というより岩場です・・・。 |
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「六度目の訪問・・・2016年9月30日(金)」、「七度目の訪問・・・2016年10月1日(土)」は、気が向いたら執筆します・・・。(^ω^)
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Daten / データ
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所在地 |
ドイツ連邦共和国 バイエルン州 シュヴァンガウ 住所:Neuschwansteinstraße 20, 87645 Schwangau,Deutschland 電話:+49 8362 930830 |
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公式サイト |
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現在の用途 |
博物館 |
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交通 |
ミュンヘン中央駅から列車で約2時間、終点のフュッセン駅前から73番、78番、9651番のバス(片道2.1ユーロ、往復4.2ユーロ)でホーエンシュヴァンガウのバス停で下車。もしくはタクシー(片道10ユーロ)で行くことができます。
バス停から50メートルほどの麓にチケットセンターがあります。 麓から徒歩約30分 (馬車、シャトルバスあり)。 |
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宿泊施設 |
なし (すぐ近くにホテル兼レストランあり) |
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レストラン / カフェ |
城内にカフェあり 城のすぐ近くにホテル兼レストランあり |
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城内見学 |
可 (ガイドツアー) / 日本語ガイドフォンあり(貸与) |
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写真撮影 |
城内ガイドツアーは撮影不可 |
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開館時間 / 料金
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城
3月19日~10月15日 9:00~18:00
10月16日~3月18日 10:00~16:00
休館日:12月24日、12月25日、12月31日、1月1日
チケットセンター
4月1日~10月15日 8:00~17:00
10月16日~3月31日 9:00~15:00
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備考 |
★フュッセン駅前から73番、78番、9651番のバス(片道2.1ユーロ、往復4.2ユーロ)、もしくはタクシー(片道10ユーロ)で行く方法があります。
★入城チケットは麓のチケットセンターで購入、城では販売していません。
★城門館の左側に売店、本館3階に土産物店、カフェ&ビストロがあります。 |
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